学生の頃は制服という指定服を毎日着ていたけれど、今では毎日自由に好きな服を着ることができる。
自己表現に使う手段のひとつとして、ファッションを楽しむことができます。
今となっては少なくなってきましたが、ぼくはこれまでに何度も洋服の買い物で失敗を繰り返してきました。
それがどうして減ったんだろう?失敗したときに共通していたことは何だろう?と考えてみると、ぼくの場合はあるひとつの答えが浮かび上がってきたんです。
”人からどう見られたいか”を意識した買い物は失敗する
ぼくが買い物に失敗したとき。買ってすぐにそれを後悔したときに共通していた意識はずばり”人からどう見られたいか”を意識していたときでした。
具体的で分かりやすい例でいくと、ハイブランドの服を買ったとき。
ゆるい雰囲気の服や古着が好きなのに、”人からおしゃれに敏感な人だと思われたい”と願ったゆえに買い物に失敗したことがあります。
Rick Owensとadidasのコラボスニーカー、RUNNERを買ったとき。
中古で買ったので3万円台後半でしたが、ぼくにとってはそれでも大金です。
あの特徴的すぎる踵のデザインを見るたびに「あれ、なんで買ったんだろう?」と思うようになっていました。
でも理由は紛れもなく、当時のぼくが人からおしゃれに敏感な人だと思われたいと願っていたから。
そこまで好きでもないブランドのアイテムを買った理由が、自分の内側ではなく外側にあったから失敗したんだと思います。
当時のぼくはきっと、見栄を張りたかった。
それでも洋服に興味を持ち始めた頃からRick Owensの定番スニーカーである”ジオバスケット”はずっと気になっていて、今でも少し欲しいと思っていて。
その気持ちは果たして自分の内側から湧き出ているものなのか?外側にあるものなのか?
判断がつかないので、未だ手を出さずにいます。
アイテム単体に惚れ込んでいるので、買ったところで手持ちの服とは相性が悪く、コーディネートを組むのが難しいとは思いますが・・・。
人には人の、自分には自分にしかないカッコよさがある
「あのブランドを着こなしている人、カッコいいな」
海外のハイブランドアイテムをさらっと着こなしている人を見ると、そう思うことばぼくにはよくあります。
その人と自分を見比べると、全身を古着やミリタリー系のアイテムで固めた自分がとても野暮ったく見えて嫌になることも。
でも最近はそれってもう、無い物ねだりでしかないのかな、と考えるようになってきました。
色々なブランドの洋服をそれぞれおしゃれに着こなすなんて、ぼくには到底できないことで。
あの人にはあの人のカッコよさがあるけれど、ぼくにはぼくにしかないカッコよさ(自分で言っちゃいますけど)があるんじゃないかな?と思っています。
自分の好きなものを突き詰める。それが本当にカッコいいファッションスタイルなのではないでしょうか。
もう買い物の失敗を繰り返さないよう、自分の内側から湧き出た”欲しい”という気持ちにだけ従って買い物をするようにしよう、というお話でした。
最近、海外に目を向けはじめている自分に対してもそう言い聞かせています。
その気持ちは果たして内側から?それとも外側から?
いわはし
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