「推し、燃ゆ」を読んで考えた、推しって一体何なのか

小説「推し、燃ゆ」を読みました。

芥川賞を受賞、50万部を超える売り上げ、最近じゃトップクラスの人気を誇る小説です。

 

話の内容を簡単に書くと、主人公の女子学生には「推し」の男性アイドルが存在している。

推しを応援するためにバイトをして、稼いだお金でライブに行ったりCDを買ったり、グッズを買ったり。

 

そんなごくごく普通の、よくいる女子学生にとっての推しが、ファンを殴ったことを理由に燃える、いわゆる炎上をしてしまった。

炎上をきっかけに、男性アイドルの、ひとりの人間としての人間性やら、推す側である女子学生の心情が垣間見える作品。

 

「推し」も「燃える」も、ここ数年でよく聞くようになった言葉。

そのふたつが組み合わさった、かなり今っぽい作品名ですが、普遍的な内容でした。

 

アイドルだってずっと前から存在してるし、当然ながらそれを応援する人も、ずっと前から存在しています。

いわゆる「推し」を作ることは、そことの程よい距離感を保てるなら、何だかすごくいいことだな、と個人的には思っています。

 

というのも、ここ数年の僕にも推しみたいな存在は確かにあって、そういう存在があると生活が少しだけ豊かになるし、ハリが出る気もしています。

新曲が出たらサブスクで聞いてみたり、ライブがあれば行ってみたりとか、わりとライトな距離感。

 

その人が頑張ってる姿に勇気をもらうというか、この人が頑張ってるんだから、自分も頑張らなきゃな、みたいな感覚を与えてくれます。

今、忙しいと思ったかもしれないけど、あの人に比べたら絶対にそんなことないので、その程度で音を上げるなよ、みたいな風にも思わせてくれたり。

 

もちろん、推しにどんな感情を抱くかは人それぞれなんだと思います。

僕とは逆で、自分が応援することで推しに頑張ってもらえたら、みたいな感覚で、それが推し甲斐っていう人もきっといるはず。

 

適度な距離感なら、自分が仕事や何やらを頑張るひとつの理由や目的にもなるから、健全でいいと思うんです。

しかし、推しがあまりにも生活を侵食しすぎていたり、大量の出費を伴う場合はあんまり健全じゃないなと、「推し、燃ゆ」を読んで思いました。

 

推しの言動が自分の生活の細かな部分にも影響を与える。

こうなってくるともう、それって誰の人生なんだろう、みたいに思ってしまうというか。

 

人の生き方に文句を言うつもりなんてないので、あくまで僕が個人的に思うことでしかありませんが。

作品の主人公はわかりやすく、その一線を超えてしまった方なんだな、という印象でした。

 

例えばライブツアーやイベントが発表されたら、その全部に足を運ぶ。

それでいて、推しはあくまで生活のごく一部でしかないというか、適度な距離感を保っている方もたくさん見たことがあります。

というかほとんど。なかなか人生を支配されるレベルの人は見たことはないけど。

 

生活を少しだけ豊かにしてくれる存在、推し。

仲良くなりたいとか、付き合いたい、みたいな感覚はもちろんない存在。

 

それでも画面越しやステージ越しには魅力を感じていて、応援したいと思ったり、勇気をもらったりする。

例えばアイドルだったりすると、何らかの理由で同じ作品を1人で何枚も買っている人もいて。

 

昨日出たばっかりのCDやDVDもメルカリを覗けば、特典だけを取り去ったほとんど新品が、定価の半額くらいで買えたりする。

それでも新品を買おうと思うのは、その存在に励まされたときの、お礼としてお金を落とすことができれば、みたいな感覚から来ていたりもします。

 

推しって一体、何なんだろうって考えてみると、見返りを求めない愛みたいなものかなと思いました。

愛とか書くとスケールが大きくなりがちで震えましたが、そんな壮大なものじゃないです。例えに最も適した言葉というか。

 

友達や恋人に、例えば誕生日を機会にプレゼントを渡すとしたら、もちろん喜んでもらえたらな、みたいな気持ちが大きい。

ですが僕の場合、そこにほんの少しだとしても、見返りを求める気持ちがどうしても混じってしまうんですよね。

 

すごく具体的な話をするなら、いくらのモノをあげたから、自分の誕生日には同じくらいの何かをくれるんじゃないか、みたいな。

そういうことを、チラッとでも思っちゃう自分が卑しいし、何だか嫌だなって思います。

これだから人に誕生日をあんまり教えたくないくらいには。

 

対して、推している対象にプレゼントを渡す機会があるとすれば、きっとそういう見返りは求めないと思うんですよね。

っていうのも、その人の作る音楽やら、そこに向き合う姿勢から受け取るものが、普段の支払っている金額に対してあまりにも大きいから、だったりするのかもしれません。

 

あと、シンプルに友達や恋人と違って1対1じゃなく、同じようにその人を推している人が何千人、何万人といるっていうのも大きいと思います。

そのうちの1人、ごくライト層な僕くらいの存在は、推されている側からすれば大勢いるうちの1人というか。

 

これくらい俯瞰した気持ちを持っていられるなら、「推し」という存在は生活を、心を豊かにしてくれるいいものだな、と思います。

そこに見返りを求め始めちゃったら、ちょっとのめり込みすぎって、仮にそんな日が来たら自分に言ってあげようと思います。適度な距離感でどうぞ。

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いわはし

いわはし

もうすぐ30歳になるので、うかうかしていられません。

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