最近、BiSHのアユニ・Dさんに夢中です。
可愛いのもそうなんですけど、喋っているのを聞いたり書かれた文章を読むと、なんて面白い人なんだろうと思います。
本とか映画、漫画やら音楽から吸収した沢山のカルチャーが背景にある気がして、人格や感覚を形成してきたものがただただ気になる。
その感覚を持った人が面白いと思うものが何なのかにも、とても興味を持ってしまいます。
そうやって背景を追っているうちに、その人が圧倒的な量のインプットや経験をしてきたことを知る。
本人としては面白いから、好きだからって感覚で取り入れてきたものなんだと思います。
そんな経験を経てこその素敵な感性を持っている人に出会うと、面白い人だなと思うと同時に、すごく悔しくもなります。
「この人みたいに面白くなりたい」
そう思って、面白いと思った人が好きな本や映画、漫画や音楽に欠かさず触れてみるようなことは、これまでにも同じように悔しさを感じた瞬間にはやってきました。
悔しいって書きつつも、普段は自分から何かに興味を持つことが少ないので、憧れの人を経由して面白い作品に触れる楽しみができることも、嬉しいと思っています。
ただ、そうやっていくら、憧れの人が好んできた作品に触れてみても、その人と似たような感想は出てこない。
そういう人たちの感想は「これを見てこんなことまで思ったの?」と思うような深みのあるものですが、僕からそんな感想は出てきません。
ただ「面白かったな」くらいにしか思えない自分は、そもそも何かに興味を持つことや、ハマることが極端に少ない。
それゆえに積み重ねてきたインプット量も少ないから、作品に何かを重ね合わせて考える習慣も力も持ち合わせていません。
もしくは、感受性が低いからなのか。
人の心を動かせるような音楽や小説を作れる人は、高い感受性を持っているから生み出せる訳で、その時点で自分には生み出す側の感覚や才能がないことに、改めて気付いてがっかりする。
アユニ・Dさんで言えば僕より5個も年齢が下なのに、圧倒的なインプット量と、そこから来る人としての面白さをこれでもかってくらいに持っている。
26歳にもなって空っぽな自分なんて、どうしようもないんだからくたばっちまえと思うこともあります。
それくらいには、面白い人と会う度にとっても絶望します。
ただ、やっぱり直ちにくたばっちまおうとは思わない訳で、ここまでそんなことに気付かずのうのうと生きてきちゃったことはもう仕方ないのかもしれません。
その人を真似て同じ角度の面白さを身につけようとするんじゃなくて、自分が既に持っている面白い部分を見つけて生かそうとする。
こういう考え方でもしないと、本当にもうやってられないと思うくらいには絶望と悔しさに襲われてしまいます。
自己啓発本における著者の事例が稀で、完璧に真似はできないように、あくまで事例は参考に留めつつ「じゃあ自分の場合は、何が強みなのか」
「それを使って、どうやって戦い抜いていけばいいのか」を考える。
憧れと同じにはなれなくても、自分なりの面白さを持って輝ける日がくることを夢に見ています。
悔しさもあるし絶望もするけど、それを乗り越えて輝きたい。
いわはし
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